米澤穂信 「愚者のエンドロール」 感想(ネタバレ注意)


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古典部シリーズ第二弾です。
前作の氷菓よりもミステリー要素が強くなっていて、ミステリーネタも使われています。
古典部シリーズの中で最もミステリー色が強く,ミステリーが好きな人にとって一番楽しめる巻です。
文化差に出展する予定でいた二年F組の自主制作映画が未完成の状態で頓挫しているので、奉太郎たちに現在完成している部分から、結末を導き出すことを依頼されます。
奉太郎たちは二年F組の関係者から話を聞くのですが、その関係者たちが推理する話を聞きながら、正解と言える解決編にたどり着こうとします。



いつの間にか3種類の表紙が。
追記ではネタバレ注意の感想と解説を:
愚者のエンドロールの登場人物。
お馴染みの古典部のメンバー。
入須 冬美:
二年F組のリーダー的な存在で女帝の称号で呼ばれている。
古典部に推理の件を依頼してきた人物。
次の巻、クドリャフカの順番でも登場します。
江波 倉子:
入須の使者。今回の件での窓口として古典部に応対をしてくれる。
名前はミステリーネタ(後述します)
中城 順哉:
自主映画の撮影班にして助監督。
解決編についての持論を展開する。
羽場 智博:
小道具班。
推理を展開させる二人目。
沢木口 美崎:
広報担当。
推理を展開する三人目。
クドリャフカでも登場。
自主制作映画の登場人物
海藤:武道系の部活が似合うがっちりとした体つきの男。
杉村:ひょろりと細長い外形。そわそわと落ち着きがない。
山西:よく日に焼けた肌。肩までの髪を栗色に染めている。
瀬之上:背が低くやや太めの女。顔が丸い。
勝田:顔立ちがどうも人がよさそうな印象を。髪を赤っぽく染めて。
鴻巣:伏し目がち。地味な装い。一番背が低い。
と描写されているので、アニメのキャラデザはその感じをよく出しています。
声優がすごく豪華です。
愚者のエンドロールでは二年F組が文化祭用に作った映画を古典部メンバーで見に行くことになります。
その辺りの経緯がアバンでのチャットで語られているのですが、チャットメンバーの最後が千反田えるであることはわかるのですが、その他のメンバーが不明です。
そんなわけで千反田に誘われて、自主制作映画の試写会に行くことになるのですが、映画は先ほどの6人のメンバーが廃村の館というか劇場を発見して、泊まるための下見をすることになります。そこで、一人のメンバーが鍵のかかった部屋の中で殺されます。
といっても本当に殺されたわけではなく、劇中の中で死んだことになったわけで、前作と同じく血なまぐさい展開にはなりません。
しかし、死体が発見されたところでビデオは終了しています。
その続きの展開を知っているのは脚本担当の本郷という生徒なのですが、そこまでを書いたところでストレスで倒れてしまい、続きの謎解き部分の展開がわからないので撮影が頓挫してしまっています。
それで、入須に頼まれて、ここまでの部分から解決編、どのようにして密室殺人が行われたのかを推理して欲しいということを頼まれます。
犯行の過程を映像で見て、犯人とその殺害方法を関係者の話を聞きながら推理してゆくという形式が取られています。
「氷菓」では過去に起きたことを探る話でしたが、「愚者のエンドロール」ではこれから書かれようとする解決編を推理するという未来を探る話になっていて、その対照が面白いです。ちなみに次の「クドリャフカの順番」では現在進行形の事件を探るものになっていてこの辺の趣向の凝らし方も面白いです。
奉太郎たちは関係者3人に話を聞くのですが、その人たちが語る推理が章のタイトルになっています。
愚者のエンドロールは前作の氷菓よりもミステリー要素が強いのですが、ミステリーネタが使われています。
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「毒入りチョコレート事件」では、起きた事件に対して登場人物たちがそれぞれの推理を語り、その推理された内容から真相にたどり着くという方式がとられています。
愚者のエンドロールも同じように展開してゆきます。
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これはアガサ・クリスティーの「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」のネタになっています。
作者はあとがきで「クリスティは実は無関係です」と語っていますが、愚者のエンドロールには江波という登場人物がいて、なぜ彼女は江波に尋ねなかったのか? ということがポイントになっています。
クリスティ作品でありながらも名探偵ものではなく、若い男女が謎を探り、解決して二人が結ばれるという青春もの的展開が古典部シリーズに近いものを感じます。
ちなみに,米澤さんが最初に読んだミステリーとのことです。
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この点も最初と最後に登場するチャットルームのシーンが繋がっているので、そのことを意味しているようにも感じます。
さらに、「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」には作中にABC鉄道案内が登場していて、これが「ABC殺人事件」に繋がったのではないかと考えられています。(エヴァンズは1934年、ABCは1936年に出版)
「愚者のエンドロール」ではエヴァンズがネタとして使われましたが、次巻の「クドリャフカの順番」ではABC殺人事件がネタとして使われているといるという、かなりディープなミステリーネタも使われています。
このようにミステリーネタが使われ、作品的にもミステリー要素が強いのですが、同時にいわゆる一般的なミステリーに対する批判というかアンチテーゼが含まれているところが面白いです。
元ネタの毒入りチョコレート事件も王道的、本格推理ものに対する批判が含まれているのですが、同じことを愚者のエンドロールでもやっている気がします。
それが、撮影メンバーの推理や、それに対する奉太郎たちのダメ出しに現れています。
最初に推理を披露するのは撮影班の中城。
中城はトリックは大事ではなく、「犯人はお前だ!」と探偵役が指摘し、それに犯人役が涙ながらに事情を語るというようなドラマになればいいという主張。いわゆるテレビのサスペンスドラマ的な展開です。
彼がつけたタイトルが「古丘廃村殺人事件」。ミステリーとしての出来よりもドラマとしてどうなのかということを重視しています。
本格推理よりも世間で受け入れられているのはサスペンスドラマだという主張が込められています。
TVのサスペンスドラマだと殺害シーンは口論になってかっとなって……とか、殺すつもりはなかったのに打ち所が悪くてとかいうどうでもいいような殺害方法が多いです。果物ナイフみたいなもので一刺しで殺したりとかリアリティにも欠けているし……
それでもラスト付近で断崖絶壁で罪を告白してとドラマとしては盛り上がります。
中城案は窓から侵入して犯行に及んだというもので、一見殺害方法として正解のようにも見えますが、そうするとみんなの目にさらされてしまうという問題があり、実際にはその方法で犯行を行うのは無理です。
実際にはこんな殺害方法は無理というのが多いサスペンスドラマに対する批判を感じさせます。(TV的に実際に真似されると困るというのもあると思いますが)
続いて推理を披露するのは小道具係の羽場。
羽場はミステリーに詳しく、どういうトリックが使われたかに関して自説を語ります。
そのトリックとは2階の窓からザイルを使って部屋に侵入し、殺害してからザイルで脱出したものというもの。
その説の通りに行えばビデオで撮影されていた密室殺人が可能に見えます。
しかし、犯行現場の窓は廃館だけあって立て付けが悪く、簡単には明かないことがビデオの中で示されていました。羽場は映像を見ていなくてそのことを知らなかったわけです。
羽場がつけた映画のタイトルは「不可視の侵入」。大胆なトリックを使ったミステリー作品を連想させます。
このように理論的には可能でも、実際に行ってみるとそう簡単にはゆかないというトリックがミステリーではよく登場します。
特に漫画の探偵ものに多いのですが、一見凝ったトリックに見え、理論的には完全犯罪ができそうに見えますが、実際にやるとなると、よほど偶然がうまく重ならないと成功しない。成功するとしてもリハーサルを何度もこなさないと無理だろうというものがあります。
そういうミステリーマニアに対する批判が含まれているように見えます。
古典部シリーズではそういうトリックもののミステリーとは全く違う手法が使われています。
続いて推理を披露するのが、広報担当の沢木口。
キャラデザにもあるようにかなり個性的な人です。
映画について主張するすることもエキセントリックで、ミステリーやトリックそのものをも否定。
「別にいいじゃない、鍵ぐらい!」は名言です。
一般人はトリックなんて興味ない。本格推理なんてマニアックすぎる。
ホラー的に盛り上がれば観客は満足という考えです。
つけたタイトルも「Bloody Beast」。いかにもB級ホラー映画なタイトルです。
しかし、この説も脚本担当の本郷が指定した血糊の量が少なすぎるので、スプラッター展開はありえません。
この王道的、古典的なミステリーを全否定するような考え方は斬新です。
オカルト的な非科学的な超常現象もOKとなると、推理ものとしての前提が崩れてしまいます。
ミステリー系の小説でそういうのもアリと言わせるのは実に面白いです。
このようにして3人から話を聞いてゆく間に、江波と本郷のことなどを入れてくるのですが、千反田が本郷の意図していたことに注目したり、里志が本郷が参考にしたと思われる、シャーロック・ホームズに注目したりと、この辺の伏線の張り方も見事です。
ミステリーの古典であり基本ともいえるホームズもネタにしています。
作品名のところにつけられている記号も、ミステリーファンからするとあり得ない評価になっていたりします。
読む人の注目するところの違いによって評価も変わってくるというメッセージを伝えていますが、このことは次の「クドリャフカの順番」で熱く語られています。
またミステリーの十戒といえるお約束事のことも語られるのですが、これは「インシテミル」にも登場してきます。
奉太郎の解決編に行く前に、「味でしょう」という章が挟まれています。
あとがきでは「少し変わったつけ方をした」と書いてあり、何かの意図があったようです。
次巻の「クドリャフカの順番」で「味でしょう」は「アジテーション」であることが明かされています。
この短い章がいろいろと意味深です。
ここまでの奉太郎は関係者の推理を聞いて、それが本郷の書こうとしたものかどうかを判断する役割でいます。
これはトリック的に成立しない、撮影された映像に合わない、本郷の指示していたことと矛盾していると推理を否定する立場でした。
省エネ主義をモットーとする奉太郎は他のクラス映画なんかには関わりたくないというスタンスですが、入須先輩によって探偵役としての特別な能力、入須先輩の言葉でいうと技術を持った人間であることを語られ、自分の技術を自覚し、それに向き合って今回の件に力を貸してくれと説得されます。
つまり,入須先輩が奉太郎をアジテーションしている,煽っているわけです。
それによって探偵役として奉太郎は自ら動くようになるという変化を遂げることになります。
それで真剣に撮影された映像を見て、これまで推理したことから結論を導き出す奉太郎。
それは撮影には7人目の登場人物がいたというもの。
それは映像を撮影したカメラマンです。
そうするとすべての辻褄が合う、本郷の意図にもかなっているように見える、これが解決編に違いないと結論を下します。
奉太郎が名付けたタイトルは「万人の死角」
元ネタは刑事コロンボの「構想の死角」。文章をを書いていない小説家が犯人役なので,愚者との関連があります。高木彬光の「白昼の死角」も思い浮かんだのですが,詐欺ものなので。
この奉太郎案に従ってシナリオが書かれ、映画の撮影も再開され文化祭までになんとか完成させることができます。これでハッピーエンドに見えます。
しかし、その完成した映画に納得がいかない古典部メンバー。
奉太郎が古典部の部室に行くと、部員たちは完成した映画を見ているところで、奉太郎が入っていったときにはエンドロールが流れています。これが「愚者のエンドロール」のタイトルに関係してきています。
作中ではタロットがネタとして使われていて、入須先輩は「女帝」。摩耶花は「正義」、里志は「魔術師」、千反田が「愚者」、奉太郎が「力」だと設定されます。
「愚者」に関しては色々な説があるようですが、作中では冒険心、好奇心、行動への衝動を表すとなっていて、千反田の性格と合っています。

カードには旅をしている青年の絵が描かれていて、目の前には崖が迫っていて、同行者の犬が危険を知らせています。
この映画が崖から落ちることになるか踏みとどまるかの瀬戸際、映画の進行状況が崖っぷちにあることや、映画の行く末がはっきりしていないことを暗示しているのではないでしょうか。
好奇心で突き進む千反田ですが、その旅人につきそう犬が奉太郎になるのか。
奉太郎によって一つの結論が出され、それが正解とされますが、それに納得がいかない古典部メンバー
摩耶花はザイルのことを指摘します。本郷はザイルを小道具班に発注していました。でも奉太郎の推理ではザイルの出番はありません。
里志は本郷が資料として使っていた、シャーロック・ホームズの本のことを指摘します。
ドイルの時代にはまだ叙述トリックは存在していません。
本郷がトリックの参考として読んだのではないことになります。
千反田は本郷のことを気にしています。
倒れたにしてもトリックのことを江波のような親しいクラスメイトに話さなかったのか。
奉太郎の考えた推理、解決編は映画の続きとしては最適のものでした。
その案で制作するなら映画としての出来は良いものになります。
実際、次巻のクドリャフカでは映画は観客に好評でした。
でも、それは本郷が意図した結末なのか……
そのことを考える際にタロットのことを思い出す奉太郎。

奉太郎に与えられたのは力、ストレングスでした。
でも、その説明は奉太郎には当てはまらないように見えます。
なぜ里志は奉太郎が力のカードだと言ったのか……
それはカードの絵にありました。
ライオンが女性に御されています。
里志は奉太郎が千反田や入須先輩といった女性に飼い慣らされているということを言わんとしていたわけです。
このことから見方を変えて、違う角度から考えると見えていなかったものに気がつくことに悟る奉太郎。
探偵役として、犯人やふさわしいトリックを探そうとしてこの映画を見ていましたが、脚本家である本郷視点からこの映画のことを考える奉太郎。
それによってこの件の真相に気がつきます。
シャーロック・ホームズの本の記号は、トリックが使えるかどうかではなく、それが作中の死者の数であること、本郷案では死者が出ないつもりでいたことに気がつきます。
しかし、クラスメイトたちは暴走し、脚本では海藤が死んだとは書かれていないのに、どう見ても死亡しているような絵を撮影してしまいます。
それによって、自分の脚本と映像のズレを修正できなくなる本郷。続きを書けなくなってしまいます。
それで、入須は本郷を病気になったことにして、クラスメイトや古典部メンバーを集めて、続きをどうするかのシナリオコンテストを行うことにした。
すべては本郷を守るために入須先輩が仕組んだことだったわけです。
映画的には奉太郎案が正解で、入須先輩が採用したのですが、本郷が意図していたものという点では不正解になります。
愚者のエンドロールはミステリー作品としてみると穴があります。
エンドロールのチャットで奉太郎が千反田に説明する、本郷が意図していたシナリオもミステリーファンから見ると粗が目立ちます。
そもそも千反田が終盤に指摘したように、本郷が書けなくなったからといっても、考えていた案を誰にも言えないというのは明らかにおかしく、何らかの理由があることがすぐにわかるはずです。でもその点は追求されず、切羽詰まった状況なのに推理ゲームが始まるという展開も突っ込みたくなるかもしれません。
それでも、毒入りチョコレート事件を上手にモチーフにしていて、ミステリーネタがわかるとかなり楽しめます。
殺人事件が起きないということに古典部シリーズの特徴がありますが、作中でも死者がでないというオチは古典部シリーズらしさを出しています。
それになんといっても青春ものとしての魅力があります。
この古典部メンバーで真相を探ろうとしてゆくそのストーリー展開だけで楽しめます。
学園ものらしさを保ちながらもしっかりミステリーしているこの作品は氷菓よりもずっと出来が良いのではないでしょうか。
メタミステリーとして扱われる作中の事件が毒入りチョコレート事件とは違って迷宮入りの事件ではなく、初心者が書いたミステリー映画の脚本なので、真相についてははっきりと明かさないのもいいのではと思うし。
真相にメインを置いているのではなく、それにたどり着く過程の方が重視される作風になっています。
氷菓でもそれぞれが推理を披露し、出されたヒントを元に答えを見つけるという方法が取られていましたが、愚者のエンドロールでは、その形式をより発展させ、古典部シリーズらしさを出すことに成功していると思います。
奉太郎が探偵役として自ら動くことになるという成長も見せていました。
登場人物の中で光っているのは入須先輩です。
本郷のために奉太郎を駒として上手に使い、望み通りの結果に導くことをしていました。
それで、奉太郎は自分に技術があると言った先輩の言葉は本心だったのか、それとも奉太郎を動かすための詭弁だったのか問い詰めるのですが、「心からの言葉ではない。それを嘘と呼ぶのは、君の自由よ」と答える入須先輩。
「それを聞いて、安心しました」というそれに対する奉太郎の返答で終わっています。
先輩がどういう意味で答え、それをどう奉太郎がとらえたのかがわかりにくくなっています。
わたし的には、先輩が第一に考えていたのは本郷のことで、奉太郎のことを思ってアドバイスしたわけではないので、「心からの言葉ではない」と言っているように思えます。
そのようにして人を手駒として扱いながら、そのことを恥じることなく認め、全くブレない先輩の姿に安心したのではないでしょうか。
それに加えて、先輩に乗せられて自分が動いたのではなく、自分から動いたことになるということで安心できたというのもあると思います。
アバンとエンドロールにあるチャットのログを見ると、入須先輩が奉太郎の姉にこの件で相談していたことがわかります。(このチャットでのハンドルネームから奉太郎はほうたると一部で呼ばれるように)
先輩的には奉太郎を起用したのは姉の意向もあったのではと思います。
奉太郎を引っ張り出すために千反田を誘った感じがします。
奉太郎の姉は「氷菓」で弟が高校生活をエンジョイできるように策を巡らしていました。
今回も弟をこの件に絡めさせようとして、後輩の入須に進言したのでは。
入須はその姉の意向をくんで奉太郎にアドバイスを与えた、姉が言いたいことを代弁したような気もします。
エンドロールまで読むと、チャットの登場人物が明らかになるのですが、鋭い人なら千反田と入須がチャット仲間だということが明かされた時点で、アバンでの登場人物が誰なのか答えを導き出すことができるはずです。
そうなると真相についても見えてきてしまうので本格推理ものを期待している人から見ると高い評価は得られないかもしれませんが、古典部シリーズを理解している人にとってはこの作品はかなり楽しめる作品です。
わたしとしても氷菓よりもずっと楽しめました。
アニメでどのように映像で見せてくれるのかが楽しみです。
出来はいいし、オリジナリティーもあるのに売れなかったみたいですね。
次巻のクドリャフカが出るまでに時間が空いています。
こちらも読了済みなので感想をまとめたいと思っています。
米澤穂信講演会に行ってきました。
面白い記事だったので参考までに。

Amazonを見たら最初のレビューを書いていたのがホッカルさんだった……
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入須「(やべぇ、本郷の脚本糞過ぎワロタ)」
本郷「トリック成立しなくなっちゃいました……」
入須「私にまかせて、ちゃんと完成させるから」女帝スマイル
入須「というわけで、どういう脚本だったか推理して欲しい」
探偵志望「ドヤッ!」
入須「(やべぇ、こいつら使えなさ過ぎワロタ)」
入須「なんかいい人いませんか?」
姉貴「使えそうなのいるわよ」
入須「試写会来てくれない?出来れば4人、部活の人たちとか誘うといいよ^^」
える「わかりました!」
入須「この先、どうなると思う?うちのクラスから出た案が成立するかだけでも判断して欲しいな」
える「折木さん!」
折木「まあ、それくらいなら」
入須「君は才能があるよ、君は特別、君ならできると思って声かけたんだよ」女帝スマイル
折木「…………そこまで言うなら///」
入須「(童貞はちょろいな、脚本家確保っと)」
折木「よくも騙したなぁああああああああああああああああああ」
入須腹黒説は根強いようですね。
入須(Irisu)はアイリスと読ませてミステリーネタに絡ませてくると思っていたのですが,アイリーン・アドラーをイメージしているようなので只者ではなさそうです。
わたし的には冷たそうに見えるけど,本当は優しい人。仲間を守るために手段は選ばないけど善意から行動していると信じたいと思っています。
入須先輩は正体が掴みづらいですね。
原作を読んだときには悪役的なイメージでしたが,アニメで少し緩和されいるように見えます。
古典部シリーズは今後外の世界にも目を向けることになってゆくと思うので,女帝の登場もありそうですね。
「いい映画を作る」という「目的」は「善意」からのものでも、(一応は傷付けない様に考えてはいるものの)「手段」としては他人をコマとして使うことを厭わないという点で「優しい」というよりは「冷徹」といった感じだと思います。
「手段」を「悪意」を持って使うとは思いませんけどね。
やはり女帝としては時間的に切羽詰まっていたので,完成させるために利用できるものは何でも利用するような状態だったのではないでしょうか。
そうやって自分の権威や能力をつかって目的を達成させることにたけているので「女帝」と言われていると思うのですが,コマとして使う人のことをどこまで考えているかというのが気になりますね。
平民視線ではなく女帝視線で物事を見ていて目的を達成すること,結果を何よりも重視するのか,クラスの和や個人のことをどこまで考えているのかが気になります。